スモール イズ ビューティフル

エルンスト・フリードリヒ・シューマッハ著
「スモールイズビューティフル」 
講談社学術文庫
1973年62歳で出版されています。
現状の私が今までの人生で一番影響を受けまくった本です。それまではぼんやりとしていてまとまらない日々が、いきなり確実に人生を変えたくなったほど影響された本です。
相変わらずこの経験値と年齢ではまだまだ無理ではないかと思いますが、世の中の仕組みが凄い早さで壊れ始めた時代に、私も今小さいことですがチャレンジしてみたいことがあります。
※赤字は本文から抜粋
科学・技術の力の発展に夢中になって、現代人は資源を使い捨て、自然を壊す生産体制と人間を不具するような社会を作りあげてしまった。カネは万能とされた。
 正義や調和や美や健康まで含めて、非物質的な価値は、カネでは買えなくても、カネさえあればなしですませられるか、その償いはつくというわけである。富を手に入れることが、こうして現代の最高の目標となり、これに比べれば、他の目標はどれもこれも、依然として口先でこそ重んじられてはいるものの、低い地位しか与えられていない。
 最高の目標には説明は不要である。
P380
と結びながらも、経済学、教育、生産問題、土地利用、原子力、人間の技術、開発、失業問題、組織のあり方、など多方面に問題を投げかけ、現状を変革する方法を見いだしている、経済理論家であり実践家です。
 本のタイトルは編集者が「人間はちいさいものである。だからこそ、小さいことはすばらしいのである。」のくだりからヒントを得て生まれたそうですが、経済でも農業でもエネルギーでも科学技術と共に一方のみが大きくなりすぎてしまった末の時代にどう変わっていくべきなのか・・・。
人を脅かしている破壊的な動きを逆転させるような発明や機械を生む技術革新を求めなければならない。科学者と技術者には、いったい何を求めたらいいのだろうか。
安くてほとんど誰も手に入れられ、小さな規模で応用でき、人間の想像力を発揮させるような、ものでなくてはならない。
P44
日本で今も健在で、高度経済成長に大きく貢献したような産業形態、小規模で地方分散型で、労働力を多く使うタイプの組織を、製造工業はもっと想像力を働かせて研究してみるべきだ。第一に開発に対して「地域的な」取り組みをすること、第二に「中間技術」ともいうべき技術を開発し、適用していくよう意識的に努力すること。
一、仕事場は人びとが現に住んでいるところに作ること。彼らが移住したがる都市部はできるだけ避ける。
二、仕事場を作るコストを平均してごく安くし、手の届かないほど高い水準の資本蓄積や輸入などに頼らずに、数多く作れるようにすること。
三、生産方法を比較的単純なものにして、生産工程をはじめ、組織、原料手当、金融、販売等においても、高度の技術はできるだけ避けること。
材料としては、主に地場の材料を使い、製品は主として地場の消費に向けること。

P231、P232
(時代の)流れが早いほど、舵とりにはいい腕前がいる理である。
いちばんだいじなことは、大きな組織の中に小さい単位を作り出すことである。
組織が大きくなると、それは通常、中央政権化の時期と地方分権化の時期を交互に繰り返し経験する。
このような、それぞれに説得力のある根拠をもった二つの対立物があるときには、AかBのいずれかではなくて、AもB合わせて、問題の本質を探究してみるべきである。
P316
てことは、そろそろ地方分権化が必要で。いい腕前の舵とりも必要で。なんとか政治も変わっていただけることを祈ります。
あと、心に残ったのは教育と原発
1970年代に既に書かれた原発とは
原子炉から出る大量の放射性廃棄物の安全な捨て場所とは、いったいどこであろうか。
深海ですら後ソ連の深海調査で否定された。廃棄物を水に入れると、数時間後にはその大半が生物の組織の中から検出される。多くの海中生物には、放射性物質を1000倍、ときには100万倍に濃縮する力がある。生命の連鎖を上にたどって、最後には人間に戻ってくるのである。
P179、P180
廃棄物の管理方法がわからない間は原子炉は建設すべきではない。
※今の日本でいうなら、嘘の安全を主張してきて、管理方法だって本当に安全なのか?そんな人たちが「再稼働すべきではない」
いかに経済がそれで繁栄するからといって、「安全性」を確保する方法もわからず、何千年、何万年の間、ありとあらゆる生物に計り知れぬ危険をもたらすような、毒性の強い物質を大量にためこんでよいというものではない。そんなことをするのは、生命そのものに対する冒涜であり、その罪は、かつて人間のおかしたどんな罪よりも数段重い。文明がそのような罪の上に成り立つと考えるのは、倫理的にも精神的にも、また形而上学的にいっても、化物じみている。それは、経済生活を営むにあたって、人間をまったく度外視することを意味するものである。P190、P191
教育とは
「全人」を造り出したときに、教育ははじめて役に立つ。
全人は中心(雑多な衝動、本能、欲望)とはしっかりと接触を保っているに違いない。
根本的確信、人生の意味と目的について迷いはないだろう。現実の生き方を見れば、内面的確信から溢れた迷いのなさがわかる。
P121、P122
インドが生んだ賢者の一人である釈尊は、よき仏教徒は例外なく、少なくとも五年に一本木を植え、これを育てるべきだと説かれた。その結果として、食料と織糸と建築材料や緑陰、水など、人が必要とするほとんどすべてが作れるのである。
 守られていた間は、広いインドの国土は木で覆われ、汚れを知らず、水と緑陰と食料とさまざまな原料が豊かにあった。
本当に役立つことは、中央からの指令ではできないし、大組織にはできない。民衆自身には手を動かして生産的な仕事をするのがごく自然な姿でできる。
P285
シューマッハは晩年、樹木の重要性にとくに注目し、「森林のはずれにて」と題する、森林の破壊を描いた映画へ出演されています。
かりに何百人の人たちが現状を改善したいと望みながらも、やり方がわからないとしたら、だれがそれを教えたらよいのだろうか。それはわずかばかりの手直しや改良、改善とか誘導では手におえず、根本的な政治哲学の問題になってくるのである。問題全般を一言で「教育とは何のためなのか」という問いにまとめることができる。
原発に安全はない、本当はこんな依存と利権でなりたち、そんな歴史を日本は経て今は繰り返さないと、教科書も変わる日がくるのかな。
エコロジーの立場に立つ人たちの主張
「何百年以上にわたって達成してきた環境には、どこか優れた点があると考えるべきである。地球には、一五〇万種類以上の動植物が生息し、そのすべてが同じ土俵と空気の分子を使い続けて、だいたい均衡のとれた状態の中で生存しているが、このように複雑きわまる惑星の地球を、目的もはっきりしない操作で手直しし改善しようというのは、無理な相談である。複雑なメカニズムに変化を加えると、どんな変化でもある程度の危険が伴うもで、あらゆるデータを慎重に検討した上で行う必要がある。まず、わずかな変化を加える事前テストを行ってから、大きな変化にとりかかるべきである。データが揃わない場合には、そのメカニズムを長い間支えてきた実績のある自然の力にできるだけまかせることである。」P177
それらのメカニズムを長い間支えてきた実績のある自然の力にできるだけまかせてほしい。
絶対オススメの一冊です。
ほんの10%もまとめられていません。
まだ若いうちにこういう本にふれて、行動してください。
何も出来ないと思っているのは自分とその環境で一緒にいた人たちで、一部だけ足りない何かしらの要素が解決することで自信となり、単純な理由がスタートかも知れないけど、やりたいことができると思っています。
世の中は騙されたのではなく、自分が知らなかっただけだと思っています。本質を知ってより良いアイデアを実践する人が少しでも増えますように。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA